中村獅童 偽者の歌舞伎俳優、母の支えとは?父の存在、金スマで涙!

どうも~!

2015年2月27日「中居正広の金曜日のスマたちへ」 – TBSテレビで

苦悩の人生を語った歌舞伎役者・中村獅童さん。

 

金スマで激白、偽物の御曹司、中村獅童母と挑んだ歌舞伎道!

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プロフィール

 

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中村獅童 (なかむらしどう)
歌舞伎役者、俳優
本名                                      小川幹弘

誕生日
1972年9月14日

星座
おとめ座

出身地
東京

性別

血液型
O型

身長                                                          177㎝

 

デビュー作品
ピンポン (映画)

趣味
ロック ラーメン

 

 

歌舞伎の名門・小川家に生まれた。父は歌舞伎役者の初代 中村獅童。

しかし、獅童さんのお父さんは早くに歌舞伎界から退き銀行員となった。

母・陽子さんと結婚。10年目にして待望の長男幹弘(現在の獅童)が生まれた。

幹弘は叔父の錦之介さんの演技に憧れ、歌舞伎の道へ進んだが、そこに歌舞伎界の

慣習が立ちはだかった。

父は早くに歌舞伎界から退いていたため偽物の御曹司と言われていた。

56年6月獅童8歳の時、歌舞伎座『妹背山婦女庭訓』御殿の豆腐買の娘おひろで二代目

中村獅童を名のり初舞台 。「獅童」は父・三喜雄の歌舞伎役者時代の名跡で、祖父三

代目中村時蔵の俳号に由来する。獅童さん自ら舞台に出たいと祖母に直訴したそうで

す。しかし世襲制度を重んじる歌舞伎界ではおやの力がモノをいう。たとえ実力があっ

ても親の後ろ盾がなくては一生脇役・・一代で這い上がるのは不可能に近い。同世代の

御曹司には付き人や父の弟子が付き何から何までやってくれる。しかし御曹司でない獅

童には番頭も付き人もおらず、楽屋の支度は全て母・陽子さんが付き添って行っていた

そうですね。親から芸を伝承してこそ本物の歌舞伎俳優。陰口をたたかれることはしば

しばあったそうです。

名門萬屋の子役として初めこそ話題になったものの、中学、高校と進学するにつれ、役

は回ってこなくなったそうです。本来なら歌舞伎は父から息子、そのまた息子へと芸を

引き継ぐことで成立。後ろ盾のない獅童さんは苦労したそうです。同世代の御曹司には

付き人や父のお弟子さんが付く中、御曹司でない獅童さんには付き人も居らず、母・陽

子さんが楽屋に入れる鏡台やじゅうたんを担いで階段を何往復もしていたそうです。

 

何故父・三喜雄さんは歌舞伎から退いたのか?

それは先輩役者から弟の芸をなじられて腹に据えかね、被っていたかつらを投げつけ、

歌舞伎役者を辞めてしまったと言われています。

上下関係を重んじる歌舞伎界では絶対にタブー。この大事件で歌舞伎を廃業されました。

 

 

努力では越えられない家系という壁・・

中学の頃よりロックに目覚め、歌舞伎役者として姿を消した・・・そんな獅童を母は反

対することもなくどうせなら極めて欲しいと母は応援した。“どんな道に進んでも一流

になれ“ と母からのメッセージだった。

しかし歌舞伎の世界から離れていくにつれて、逆に獅童さんの中で歌舞伎に対する憧れ

が強くなっていったそうです。母・陽子さんも獅童さんが歌舞伎役者としてやっていく

ことに反対していたんですが、20才になって、これからの人生を考えた時、獅童さん

は“やっぱり歌舞伎役者として生きていきたい”と・・・

そして大学をを中退するほどの強い決意を抱く獅童さんに、母・陽子さんも覚悟を決め

たそうです。

 

しかし御曹司ではない獅童さんに回ってくる仕事は端役ばかり・・・

 

そんなとき、群衆の一人として出演した公演の打ち上げの時2年前に他界された名優・中村勘三郎が放った一言

皆の前で “あの男は凄くなるよ” ‘’いいよ!絶対いい!“と褒めてくださった言う。

勘三郎さんとの出会いが獅童の人生を変えた。

 

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勘三郎が座長を務める平成中村座の試演会で若手俳優が1日だけ行う舞台・・

勘三郎は自分が主演する役に獅童を抜擢。

プレッシャーの中10キロも体重が減るも舞台をやり遂げた。

母・陽子さんも初めてすごく喜んでくれたそうです。

下手だけど一生懸命やることが大事!!とこの舞台で思い知らされたそうです。

 

また歌舞伎以外でもテレビや映画で地道に活動を続ける内に、2002年に映画

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ピンポン」で主人公のライバル・ドラゴン役に抜擢。

 

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頭を坊主にし眉毛をそりドラゴン役を熱演。結果、各新人賞5冠を受賞し注目を集め

ました。30歳で花開いた遅咲きの新人・・・

当時のエピソードは、よく警察に職務質問されたと・・www当然ですww

 

以降数々の映画やドラマに出演、歌舞伎においても初の主演を務め、世間に知られるこ

ととなりました。

生まれながらのサラブレッドなのに対して、獅童は長年の下積みを経て大成した、最近

では珍しいたたき上げタイプの歌舞伎役者。

 

「信じていれば、願いはいつか通じる」
現実に打ちひしがれどん底を見た彼は、ただその言葉だけを信じ夢を追い続けた。
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私生活では、映画「いま、会いにゆきます」で共演した竹内結子さんとできちゃった結

婚で男児をもうけたが、翌年の飲酒運転によるトラブル等が原因で、わずか3年で離婚

しました。長男は竹内結子さんが育てています。

事故・不倫、数々の失態の時、母・陽子さんは獅童に24時間の謹慎生活を命じ、獅童

の知らないところで母は土下座までして獅童さんの代わりに謝罪していたそうです。

 

猛バッシングの中、2008年父他界・・

最後の言葉は“親として役をとってやることも出来なかったが獅童の罪を俺が代わって

あの世に持っていく。これが最初で最後の子孝行だ。あとは頼むよ“と母・陽子さんに

獅童さんのことを託したそうです。

 

その後獅童に座長公演の話が・・人気や実力だけでなく伝統を重んじる歌舞伎界で歌舞

伎役者として認めなければ任されない大役。

親の後ろ盾なく主演は無理と言われ続けた一家の宿命を覆した。『瞼の母』・・

 

声優としてもデスノートで死神役を演じ、どん底人生から這い上がった。

 

生前母は獅童が本物の役者になるのを見届けてから死にたいと・・

亡くなる数日前、白い布を羽織って獅童の部屋に来た時、芝居の真っただ中で疲れていた獅童は母に“うっせーなー” と怒鳴った。獅童はふざけていると勘違いして怒鳴ったが実は結婚式のため、妻となる沙織さんに用意してくれた白無垢だった。そして沙織さんに獅童をよろしくと頼んでいた。そんな母が3日後亡くなった。心不全のため浴槽で眠るように亡くなっていたそうだ。死ぬまで反抗期だったと・・・

 

2013年12月17日、獅童の母・小川陽子さんが自宅の浴室で心不全のため亡くなっ

た。(享年73)E4B8ADE69D91

歌舞伎俳優・中村獅童の母・小川陽子さんの葬儀告別式が20日、東京都内で営まれ、

中村獅童(41才)は喪主として挨拶。

「僕は弱い人間です。僕は自分が思っていた以上に“お母さんっ子”だったみたいで、お

ふくろがいないと何もできないんだということが今ごろになって分かりました」と声を

震わせながら「僕が安心して舞台に立てるように、芝居ができるように、どれだけおふ

くろが陰で支えてくれていたか、今まで分かっていたつもりなんですけど、こうならな

いと本当の意味で分かりませんでした。本当に僕は愚かで、涙一つ見せず気丈に振る

舞っていたいところでございますが、まだまだ駄目です」と語った。
それでも「これから今まで以上に一生懸命やらせていただきます。

中村獅童は『小川陽子が作った最高傑作だった』と言われるような役者になれるように

頑張ります。皆さま、今まで以上に厳しいご指導をよろしくお願いします」と語り、

最後に「皆さまの前で言わせてください。お母さん…本当にありがとう」と涙ながらに

母・陽子さんに呼び掛けた。

 

 

巻き戻したい時間と後悔・・・

偶然にも鉄拳のパラパラ漫画のPVをテレビで見て感動していた!ある夫婦の生涯を描

いたこの作品に込められた思いは、まさに獅童が母の死で痛感した時間は二度と取り戻

せないという強いメッセージ!後悔は取り戻せない・・なら、今をどう生きるのか?そ

んな物語だった。その作品の実写化の話がきたとき運命を感じたという。

主演映画「振り子」まるで母がくれた映画・・獅童はこの映画で主人公大助を熱演。

2月28日公開

 

 

二代目・中村獅童を支え続けた母・小川陽子さんとは・・

獅童が20歳の時やはり歌舞伎役者として生きたいと言われた時一度は反対しつつも、

母・陽子さんも覚悟を決めたそうです。そして萬屋のひいき筋やご近所を巡り、獅童が

出演する公演に来ていただけるように呼びかけ、京都時代(母・陽子さんは京都の造り

酒屋の長女で18才で上京した)の同級生たちにも活動を手伝ってくれないかと頭を下

げたそうです。舞台裏で獅童の身の回りの世話をするのは母親だけ。鏡台など重い小道

具も担ぎ上げて階段を何度も往復していたそうです。

 

「大変だったと思いますよ。でも、彼女は当時のことを “すごく悩んだけど、獅童が

歌舞伎をやってみたいと思うならもう全力で応援しようと決心したの。これからは何で

もやる” と話していました。資金繰りも大変だったみたいで、忙しい合間をぬって、

自宅の近くにブティックを開いて、着物に刺繍したり、裁縫教室を開いたりして懸命に

働いていた」当時を知る知人が語った。

 

 

母と二人三脚で歩んできたいばらの役者道。中村獅童は母の想いを胸にこの道を歩き続ける・・

母は強し!!と言いますが本当に凄い方だったのですね。感動しました。

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